私の父は本当に変わり者だった。 何度でも言う 私は父が嫌いだった。 あいつの血が半分流れているなんて と思いながら大人になった。 大人になって就職して 営業職をする中で 多くの人と関わる中で たまに大嫌いな父に自分がそっくりだと 気付くことがあった…
わたしはこの質問と回答に 大いに救われたのだけど、 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp 少し異なる自分の個人的な見解を 書いてみる。 以下知恵袋のベストアンサーより一部抜粋。 共感能力が高い人は『人の喜ぶ姿を見る事が大好き』だから一生懸命親を喜ばせよ…
小学校高学年、反抗期が始まった頃 私はしょっちゅう母に歯向かっていた。 椅子から立ち上がって 歩くのが大変な母は よく「お茶持ってきて」と 私に命令をしてきた。 偉そうな母があの頃気に食わなかった。 お茶を持って行ってもありがとうも言わない。 あ…
ひとつひとつは小さなこと。 でもその小さい傷は 確実に今の私を形成してる。 物心ついたときから母はあまり 笑わない人だった。 友達の家に遊びにいったとき テレビを見ながらゲラゲラ笑う 友達のお母さんを見て衝撃を受けたのを覚えてる。 たまに私の話で…
小学校中学年のとき、 田舎の母の実家へ夏休みに行った。 滞在中は、 年の近いイトコたちが集まっていて 毎日遊んでいたから 公文の宿題が進まないことがあった。 母からの「宿題やりなさい」と 私も頑固で「やらない遊ぶ」の 攻防が続いて、 3日くらい朝昼…
私は母が大好きだった。 今思うと 母もまた変わった人だった。 それでも父に比べたら随分とマシで、 父と違うところは 母が怒鳴っても全然怖くないところで(笑) だから母の方が好きだったのかもしれない。 小学一年生のとき 放課後に友達とプールに行くこと…
葬式は近い親族だけの密葬だった。 葬儀後、親族で食事の際も 父は母の想い出話と称し、 自分の話を延々と繰り広げていた。 母の死後少ししてから 父が追悼文集をつくろうと提案してきた。 家族と、母の姉兄と母の友人から 母に関する手紙をもらい みんなで…
大学を卒業して 就職した初めの年の7月 母が死んだ。 母は筋ジストロフィーを患っていて 20年以上闘病して 心不全で死んだ。 最後の数年間、母は ほとんど身体を動かすことができず 母を介護するために 父は仕事を辞めた。 母の介護は相当のストレスだったと…
私は3歳から公文に通っていた。 2つ年上の兄が小学校入学前に 母が公文に入れようとした際 3歳だった私が 「わたしも入る!」と 駄々をこねたかららしい。 兄は小学校入学後、公文を辞めた。 私も小学校の頃、辞めたいと 何度も母にお願いしたが 「3歳の頃、…
小学校中学年の頃、自分の部屋をもらった。 それまではリビングに勉強机を置いていて 自分の部屋はなかった。 念願の勉強机だった。 でも自分の部屋の中に父のクローゼットがあった。 だから毎日いつでも父が勝手に出入りをする。 何故そこにクローゼットが…
幼稚園児くらいの小さいころ、 ときどき父は私に対して 「今日はあなたと喋らないって言ったでしょ 話しかけてこないでよ」 と突然言ってくる日があった。 冗談とかではなく、 本当に怒った様子でそう言う父を 私は当時、不思議に思っていた。 自分には、父…
私の父はとても変わっている。 小さい頃から、物心ついた頃から 私は彼のことが嫌いだった。 世間の幼い娘は、「パパと結婚する」とか いう子がいるみたいだけど 私には無縁だった。 なにが嫌いなのか、 全て嫌いだった。 小さい頃から父は母によく腹を立て …
父親がふつうじゃないと気付いた日。 母親もふつうじゃなかったと気付いた日。 それなら自分もふつうじゃないのかもしれないと思った日。 26歳になってはじめて 「自己愛性人格障害」というものを知った。 きっかけは勤めている会社にいた めんどくさい女性…