少女だったころのあなたへ

自己愛性人格障害の父と筋ジストロフィーの母のもとで育った女の子の話。

鬱を自覚したとき

私の父は本当に変わり者だった。 何度でも言う 私は父が嫌いだった。 あいつの血が半分流れているなんて と思いながら大人になった。 大人になって就職して 営業職をする中で 多くの人と関わる中で たまに大嫌いな父に自分がそっくりだと 気付くことがあった…

人を信じるということ

わたしはこの質問と回答に 大いに救われたのだけど、 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp 少し異なる自分の個人的な見解を 書いてみる。 以下知恵袋のベストアンサーより一部抜粋。 共感能力が高い人は『人の喜ぶ姿を見る事が大好き』だから一生懸命親を喜ばせよ…

毒母−4

小学校高学年、反抗期が始まった頃 私はしょっちゅう母に歯向かっていた。 椅子から立ち上がって 歩くのが大変な母は よく「お茶持ってきて」と 私に命令をしてきた。 偉そうな母があの頃気に食わなかった。 お茶を持って行ってもありがとうも言わない。 あ…

毒母−3

ひとつひとつは小さなこと。 でもその小さい傷は 確実に今の私を形成してる。 物心ついたときから母はあまり 笑わない人だった。 友達の家に遊びにいったとき テレビを見ながらゲラゲラ笑う 友達のお母さんを見て衝撃を受けたのを覚えてる。 たまに私の話で…

毒母−2

小学校中学年のとき、 田舎の母の実家へ夏休みに行った。 滞在中は、 年の近いイトコたちが集まっていて 毎日遊んでいたから 公文の宿題が進まないことがあった。 母からの「宿題やりなさい」と 私も頑固で「やらない遊ぶ」の 攻防が続いて、 3日くらい朝昼…

毒母−1

私は母が大好きだった。 今思うと 母もまた変わった人だった。 それでも父に比べたら随分とマシで、 父と違うところは 母が怒鳴っても全然怖くないところで(笑) だから母の方が好きだったのかもしれない。 小学一年生のとき 放課後に友達とプールに行くこと…

変わり者の父-6

葬式は近い親族だけの密葬だった。 葬儀後、親族で食事の際も 父は母の想い出話と称し、 自分の話を延々と繰り広げていた。 母の死後少ししてから 父が追悼文集をつくろうと提案してきた。 家族と、母の姉兄と母の友人から 母に関する手紙をもらい みんなで…

変わり者の父-5

大学を卒業して 就職した初めの年の7月 母が死んだ。 母は筋ジストロフィーを患っていて 20年以上闘病して 心不全で死んだ。 最後の数年間、母は ほとんど身体を動かすことができず 母を介護するために 父は仕事を辞めた。 母の介護は相当のストレスだったと…

変わり者の父-4

私は3歳から公文に通っていた。 2つ年上の兄が小学校入学前に 母が公文に入れようとした際 3歳だった私が 「わたしも入る!」と 駄々をこねたかららしい。 兄は小学校入学後、公文を辞めた。 私も小学校の頃、辞めたいと 何度も母にお願いしたが 「3歳の頃、…

変わり者の父-3

小学校中学年の頃、自分の部屋をもらった。 それまではリビングに勉強机を置いていて 自分の部屋はなかった。 念願の勉強机だった。 でも自分の部屋の中に父のクローゼットがあった。 だから毎日いつでも父が勝手に出入りをする。 何故そこにクローゼットが…

変わり者の父-2

幼稚園児くらいの小さいころ、 ときどき父は私に対して 「今日はあなたと喋らないって言ったでしょ 話しかけてこないでよ」 と突然言ってくる日があった。 冗談とかではなく、 本当に怒った様子でそう言う父を 私は当時、不思議に思っていた。 自分には、父…

変わり者の父-1

私の父はとても変わっている。 小さい頃から、物心ついた頃から 私は彼のことが嫌いだった。 世間の幼い娘は、「パパと結婚する」とか いう子がいるみたいだけど 私には無縁だった。 なにが嫌いなのか、 全て嫌いだった。 小さい頃から父は母によく腹を立て …

自己愛性人格障害を知った日

父親がふつうじゃないと気付いた日。 母親もふつうじゃなかったと気付いた日。 それなら自分もふつうじゃないのかもしれないと思った日。 26歳になってはじめて 「自己愛性人格障害」というものを知った。 きっかけは勤めている会社にいた めんどくさい女性…