少女だったころのあなたへ

自己愛性人格障害の父と筋ジストロフィーの母のもとで育った女の子の話。

変わり者の父-4

私は3歳から公文に通っていた。

 

 

 

2つ年上の兄が小学校入学前に

 

母が公文に入れようとした際

 

3歳だった私が

 

「わたしも入る!」と

 

駄々をこねたかららしい。

 

 

 

 

 

 

兄は小学校入学後、公文を辞めた。

 

 

 

 

私も小学校の頃、辞めたいと

 

何度も母にお願いしたが

 

 

「3歳の頃、あなたが入りたいと言って

 

必要のない3歳児にお金を払って

 

あなたの要望通り入れたのだから

 

あなたが辞めることは絶対に許さない」

 

といつも言われた。

 

 

 

 

母はそのときだけ

 

私を恨んでいるような口調で話していた。

 

相当3歳のときの私が

 

気に入らなかったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校中学年の頃のある日、

 

私は公文のバッグをリビングのどこか

 

適当なところに放っていた。

 

 

母が父に

 

私が公文を辞めたがっていることを話すと

 

父はキレて

 

「辞めたいなら今すぐ辞めろ!」

 

と言って私のバッグを玄関へ捨てた。

 

 

 

そのあと私はまた母に叱責されて

 

泣きながら公文のバッグを

 

玄関に拾いに言って

 

父に謝らせられた。

 

 

 

 

 

 

 

金の無駄だから

子供自身にやる気がないなら辞めさせろ!

 

という父と

 

絶対に辞めることは許さない

 

という母。

 

 

 

 

 

 

私は行きたくもない公文のバッグを

 

そのまま捨てればよかったのに

 

どうして父に頭を下げて

 

公文に通い続けさせてくださいと

 

お願いしたのか。

 

 

 

 

 

 

 

公文を辞めさせてもらうこと

 

イコール

 

父の子供として見捨てられることを

 

意味すると感じたからだった。

 

 

 

 

 

 

なんでか今でもよくわからないけど

 

当時の私は父なら私を捨てかねないと

 

感じていた。