少女だったころのあなたへ

自己愛性人格障害の父と筋ジストロフィーの母のもとで育った女の子の話。

変わり者の父-5

大学を卒業して

 

就職した初めの年の7月

 

母が死んだ。

 

 

 

 

母は筋ジストロフィーを患っていて

 

20年以上闘病して

 

心不全で死んだ。

 

 

 

 

最後の数年間、母は

 

ほとんど身体を動かすことができず

 

母を介護するために

 

父は仕事を辞めた。

 

 

 

 

母の介護は相当のストレスだったと察する。

 

 

 

 

病気の本人と家族のすべてが

 

ドラマのように愛に溢れた

 

感動的な日常を送っていない。

 

 

 

 

 

 

 

現実は全く違うことを私は知ってる。

 

 

 

 

 

父は毎日母を怒鳴っていた。

 

 

 

母も頭がおかしくなっていたと思う。

 

 

 

 

 

 

私は病気の母を助けない

 

最悪最低、世界一薄情な娘だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

知っていたはずだ

 

物心ついた頃からずっと。

 

 

 

 

 

 

恐れていたその日が

 

他人のそれより

 

自分には早く訪れることを。

 

 

 

 

知っていたはずだったのに

 

あの頃の私は母に冷たかった。

 

 

 

 

そして母は救急車で運ばれて逝った。

 

 

 

私と母の最後の会話も喧嘩をしていた。

 

母に冷たく当たっていた。

 

 

 

 

母が死んでから

 

自分の態度を後悔した。

 

 

 

取り返しがつかないとは

 

このことを言うのだと思った。

 

 

 

 

 

 

母が死んだ翌日、叔母(母の姉)が地方から

 

駆けつけてきた。

 

 

 

 

 

葬式の喪主はもちろん父だった。

 

私はこの葬式で

 

父を心の底から悪魔だと憎んだ。

 

 

 

 

 

 

花輪を出すとか出さないとかで

 

父は叔母と揉めていた。

 

 

 

 

叔母は怒って、父に内緒で

 

「◯◯(母方の旧姓)家一同」で

 

花輪を手配してくれた。

 

 

 

叔母は

 

「大好きな妹を、最期くらい

 

たくさんのお花といっしょに

 

送ってやりたい」と泣いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葬式準備中も

 

父は母の想い出を一人で勝手に

 

ベラベラ喋っていたが

 

 

ほとんど母の悪口だった。

 

 

 

 

 

 

 

母の話をしたいのではなく、

 

介護でこんなに自分は大変な思いをした

 

という父自身の話だった。

 

 

 

 

 

いつもなら無視をするけど

 

このときばかりは

 

私は父に「静かにしてほしい」と

 

頼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 でも父に私の想いは伝わらず、

 

よくわからないロジックで

 

怒鳴り返してくる父に

 

爆発しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

大人になってから私は

 

家族の前で泣くことはなかったけど

 

そのとき

  

兄や叔母の前で大声を上げて泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうなにが悲しいのかつらいのか

 

こんな糞男の血が半分流れている自分が

 

恐怖に感じたし憎くもあった。

 

 

 

 

 

 

自分の部屋に行き、ひとりで泣いていると

 

叔母が追いかけてきて

 

 

 

私を抱いて、

 

 

「苦労をしてきたね。

 

あなたは絶対いい子になるからね。」

 

 

 

 

と言いながら

 

哀れんで泣かれた。

 

 

 

 

 

 

 

私も一緒にまた泣いた。