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少女だったころのあなたへ

自己愛性人格障害の父と筋ジストロフィーの母のもとで育った女の子の話。

変わり者の父-6

 

 

葬式は近い親族だけの密葬だった。

 

葬儀後、親族で食事の際も

 

父は母の想い出話と称し、

 

自分の話を延々と繰り広げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母の死後少ししてから

 

父が追悼文集をつくろうと提案してきた。

 

 

 

 

 

 

家族と、母の姉兄と母の友人から

 

母に関する手紙をもらい

 

みんなで共有したいとのことだった。

 

 

 

 

 

 

参加してもしなくてもどちらでもいいというので

 

私は参加しないと回答した。

 

 

 

 

なんでこの糞親と母との大切な想い出を

 

共有しなければいけないのかと

 

苛立ったから。

 

 

 

 

 

 

その数ヶ月後、私は父と暮らす実家を出た。

 

 

 

やっと自由になった。

 

 

 

息が詰まるような父との暮らしから

 

解放された。

 

 

 

 

 

 

 

何ヶ月かに一度、

 

荷物を取りに帰ったりしていた。

 

 

 

 

 

 

 

父に会うと

 

「追悼文集が完成したよ」

 

と一冊くれたがそのとき開きもせず

 

そのまま実家に置いてきた。

 

 

 

 

吐き気がするこの男の作品に

 

興味を示したくなかった。

 

 

 

 

 

さらに数ヶ月後、次の帰省のときに

 

ふと追悼文集を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

父と母の結婚から、母との最期までが

 

父の手によって描かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのとき彼女がこんなミスをして

 

僕は気分が悪かった」

 

 

「彼女のこういうところが

 

無神経だと疑った」など

 

基本的に

 

母の悪口と受け取れる内容が

 

散見された。

 

 

 

 

やはり父はどこまでもブレない。

 

 

 

 

 

 

もはや

 

母に関する父自身の話を公開したくて

 

この文集を提案したんだろうと

 

私は確信している。

 

 

 

 

 

父はどこまでも

 

”聞いて聞いてちゃん”だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

他人からどう思われるとか

 

全く気にしていない。

 

 

 

というか小さい子供のように

 

そういった類の発想が彼から感じられない。

 

 

 

 

 

自己愛性人格障害

 

「大きな子供」「子供のまま大きくなった」

 

と表現されることがあるらしい。

 

 

 

 

 

まさに父そのものだ。

 

 

 

 

どうして26年間も気付かなかったんだろう。

 

 

 

 

職場の女性の話で

 

初めてその病名を聞いたとき

 

なぜすぐ「父も同じかもしれない」と

 

察することができなかったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

たぶん私にとって狂った父は

 

私の人生の一部だったから。

 

 

 

 

全然すぐにぴんと来なかった

 

思い出してみたら

 

こんなに異常な人格だったのに。